『あなたのための物語』

円環少女」シリーズの長谷敏司先生の、第30回(2009年)日本SF大賞・最終選考作。
(ちなみに実際の受賞作は、同年3月、34歳という若さで惜しくも亡くなられた、伊藤計劃先生の『ハーモニー』でした。)
S-Fマガジン 2010年04月号』掲載の、この『あなたのための物語』と同設定の中篇・「allo, toi, toi」も、かなり評判が良いようです。
人間について・人生について、深く考えさせられる内容の作品でした。


(残りの10行、ネタバレあり)

〈――死は、鏡だ。その鏡を覗くことで、《私》は始まった。これまでも人間はそれに出会い続けてきたし、科学技術が発展を遂げてもずっと変わるまい〉

お話としては、脳内に(ナノロボットで構成される)疑似神経を形成することで、経験や感情を直接伝達する言語・ITP(Image Transfer Protocol)を開発中の主人公が。
突然の発作によって判明した余命半年という現実を前に、ITPテキストから誕生させた仮想人格《wanna be》との対話を通して、死と向き合っていく、というストーリー。
徐々に病に体をむしばまれていく主人公の、嘆き苦しむ姿が、すごくリアリティがあると言うか、迫力がありました。架空の病気ではありますけれど。
おなかの調子が悪い時って、本当につらい・情けない気持ちになります。ましてやそれが、不治の病によるものだとしたら。
そうしてやがてたどり着く、死という“灰色”。
ITPによって脳の完全な記述が可能になったという想定の下で、死にゆく肉体を持つがゆえの恐怖や自己愛といったものの相対化を目指した、一つの思考実験として。
一種の“情報集積体”としての人間を、過去から流れてきた膨大かつ多層な“文化の慣性力”から解放しようとする、そういう意味での“言語を奪う”試みとして。
《彼》が自分のために書かずにいられなかった物語を原型とする、主人公へ向けた、《彼》の最後の物語。そしてもちろん、作者から読者への「あなたのための物語」。
人間について・死について、作者の真摯で切実な、哲学的思索の詰まった作品であるように思いました。