『ランジーン×コード』

第1回『このライトノベルがすごい!』大賞、大賞受賞作。去年、2010年9月発行。
先週、1月8日に、第2巻『ランジーン×コード tale.2』も発売になっています。
それでは以下、第1巻の方の感想です。


(残りの16行、ネタバレあり)

武藤吾朗:成美いわく、コトモノとは一種の『物語』なのだという。
遺言詞という『言葉』によって綴られた『物語』。

コトモノ――遺言詞によって脳が変質し、通常の人間とは異なる形で世界を認識するようになった者たち。27年前にその存在が公になって以降、社会は人間とコトモノとの共存を模索し続けていた。そして現在――全国各地でコトモノたちが立て続けに襲われるという事件が発生。事件を追う武藤吾朗(ロゴ)は、犯人が6年前に別れた幼なじみ・真木成美であることを知る――。遺言詞の文字が綴る、ヒトとコトモノの幻想詩。(カバー裏表紙の内容紹介より)
まるで「なにかのウィルスであるかのように」、変異を繰り返しながら人々の間で蔓延する、「『言葉』そのものを遺伝子にした生命体」をめぐるお話。
“自分自身”でも思い通りにはできない心、といった面にスポットライトが当たっている感じで、そういうところがユニークで面白かったです。
あと、「遺言詞」によって、脳が・心が変わるだけにとどまらず、世界に対する認識、現実認識能力までもが当然、違ってくる、みたいなこととか。
「人間同士だって、完全にその心を理解し合うだなんてあり得ない」といった、相互理解の問題なども。
「コトモノ」襲撃事件を追って、幼なじみの過去の真相、彼女の心の間近にまで近づいていく主人公が。
個人個人の『物語』が寄り集まってできあがった世界の中で、自分自身の『物語』を生きるために、たどり着いた結論、選択、覚悟とは――。
前々からの素朴な疑問なんですが、こういう公募の新人賞応募作って、どれくらい今後の展開を見越して、つまり未回収の伏線とかがあっても大丈夫なものなんでしょうか。
一般的なことは分かりませんが、少なくともこの作品に関しては、主人公の両親や「組織」についてなど、明かされていない秘密やどんでん返しがまだまだありそうです。

福地治夫:「せやけどな、たった一つだけ、俺と小僧には共通点がある。なんだかわかるか?」

福地治夫:「誰のことも信用しとらんっちゅうことや。それも、自分自身も含めてな。」

特に序盤、主人公の境遇がひどいと言うか、人間関係がギスギスしてる印象で、読んでいてややつらい感じもあったんですが。
テーマ的、あるいはストーリー上の必要性とか、それだけ登場人物たちが真剣に現実と向き合ってるってことなのかなと、読み終わってみて思いました。
あとがきによれば、「コトモノ」という概念自体は、作者の中で、かなり以前から温められてきたもののようで、そうした意味でも、今後も注目していきたいシリーズです。