『僕とツンデレとハイデガー』

萌え萌えジャパン』『人とロボットの秘密』などの著作で知られる、堀田純司(ほった・じゅんじ)先生の作品。今年、2011年9月発行。
堀田先生は、『AiR』などで、早くから電子書籍に積極的に関わっておられますが。
この『僕とツンデレとハイデガー』は、電子書籍版が、紙の単行本と同時発売。AKB48市川美織さんの朗読音声をバンドルした、iPhone/iPad版などもあります。
ちなみに来週、12月27日、その電子書籍『AiR』と、講談社BOXと、スターチャイルドとで創刊した、電子雑誌『BOX-AiR』の、アニメ化発表イベントがあるみたいです。
以前から「アニメ化を具体的に検討いたします」とのことでしたが、今年、2011年の、BOX-AiR新人賞受賞作のうちの1作品が、ついに映像化されるようです。
それでは話を戻して、以下、『僕とツンデレとハイデガー』の感想です。


(残りの28行、ネタバレあり)

三重野由真:「なにが信じられるもので、なにが明日にはメッキがはがれているものなのか。確実なものはなにかと問いかける知識。これがない人間は、結局は弱くて不安から抜け出せない。わたしたちはそのことを、つい忘れていたの」

主人公は、20代の半ばも過ぎた社会人。
このご時世に奇跡的に正社員にはなれたものの、いまひとつ仕事に馴染めず、くだらないミスばかり連発して、肩身の狭い日々を送っていますが。
そんなある日、またしてもヘマをやらかしてしまい、その焦りから交通事故に遭うのですが。気がつくと、そこは、身に覚えのない高校で……、といった感じに始まる物語。
「転校してくる生徒たちはみんなそれぞれに悩みをかかえて、それぞれに事情がある」というその学園で、主人公は転校生として、7組の美少女たちと出会い。
それぞれが過去の偉大な哲学者の顕現・化身である彼女たちから、その哲学・思想の講義を受けていきます。具体的には、以下の通り。

精神の決意ないし衝動と身体の決定とは本性上同時に在り、あるいはむしろ一にして同一物なのであって、――(『エチカ』畠中尚志訳)

  • ジョージ・バークリ&デイヴィッド・ヒューム(イギリス経験論)

匂いがあった、すなわち、嗅がれたのである。音があった、すなわち、聴かれたのである。色彩や形状があった、換言すれば、視覚や触覚によって知覚されたのである。(『人知原理論』大槻春彦訳)
人間とは、思いもつかぬ速さでつぎつぎと継起し、たえず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束あるいは集合にほかならぬ、ということである。(『人性論』土岐邦夫・小西嘉四郎訳)

「人間はそうじゃない。わたしはこれまでの考えかたをひっくり返して、対象が人間に働きかけるんじゃない。人間が対象を規定しているんだと考えるべきだと提案したんです。」

「大切なのは、認識にしても真実にしてもつねに運動していること。明らかになった“真実”は、子どものころの認識と今の認識とが違うように、認識も変えてしまう。そして認識が変わることによってまた、新たな真実も拓けるようになる。」

「人は直感的に“わたし”と世界を区別してきた。でもそうじゃない。世界は“わたし”とともにあるもの。世界は、わたしが自分自身の生を世界に投げかけることで、はじめてさまざまな形を持ってあらわれてくるものなの。」


そうして紡がれていくのは、“人間は世界の真実をつかまえることができるのか”“人間とはなにか”“世界とはなにか”という、近代哲学の中心となる、3つのテーマ。
それぞれ密接にからみあった、この3つのテーマを考えていくことで、果たして主人公は、不確かな人生においても確実なものを手に入れることができるのか――。

春出川千夏:「逃避をやめて、死に向きあうこと。これをわたしは“先駆”と呼んだ。死を先駆することで、人は世間から切り離され、自分本来の可能性に目覚めることになる」

ストーリーもそうですし、表紙や本文中に、『五年二組の吸血鬼』などで知られる小路あゆむ先生のイラストを多数使用した、ライトノベルっぽい作りで。
現代思想や認知科学的な解釈も交えながら、哲学史の流れをやさしくたどる、哲学的青春小説。
もちろん、個々の思想や概念は、しっかり説明しようとすれば、分厚い本が何冊も必要な内容ですので。不正確だったり、誤解を招きそうな部分もあるかも知れませんが。
何か疑問や興味を持ったら、そこから、自分でどんどん調べていけばいいわけで。
カバーイラストに、はいむらきよたか先生を起用した、デカルトの『方法序説』(角川ソフィア文庫)とか、最近はそういうのも増えてきたみたいですし。
ともかく、真摯に・誠実に、読者にメッセージを伝えようとする姿勢に好感が持てました。面白かったです。