『全死大戦 1』『全死大戦 2』

Sense Off』や『ヤクザガール・ミサイルハート』などで知られる、元長柾木(もとなが・まさき)先生の、昨年11月スタートのシリーズ。現在、第2巻まで刊行中。
タイトルの「全死」という言葉になんか見覚えが、と思ったら、やっぱりそうで。
2005年と2008年にそれぞれ刊行された単行本『飛鳥井全死は間違えない』と『荻浦嬢瑠璃は敗北しない』を加筆・訂正し、タイトルを変更の上、文庫化したものだそうです。
単行本出版当時、書店で見かけて、結構気にはなってたものの。結局今まで未読だったのもあって、これを機会に読んでみました。


(残りの23行、ネタバレあり)

荻浦嬢瑠璃:しかし、それでは駄目なのだ。その種のボトムアップ的な方法では、世界の中心に到達することはできない。絶望的と表現していいほどに不可能だ。

現代の神戸を舞台に。「メタテキスト」という、人間の在りようの本質に関わるものを。読み、そして改変することの出来る者たちが繰り広げる、《戦争》。
「世界を――人類を根源から変容させる」、「光と闇の闘いとしか表現しようのない、冗談のような二元論的闘争」の物語。
単行本タイトルの「飛鳥井全死」は人名で、彼女はたぶんシリーズの中心人物ですが。心情を一人称的に語るという意味での主人公は、第1巻と第2巻でそれぞれ別にいます。
第1巻の主人公は、全死の幼馴染みの青年。「レギュラーであること」を何より大事にし、平穏を愛する真面目な学生である彼はまた、……「趣味の殺人者」でもあります。
金銭のためでも快楽のためでもなく、ただ単に習慣として、文字通り実際に人を殺す、そんな人物。これはまた、感情移入しづらい主人公だな、と思ったんですが。
ときどき、現実に未成年が殺人を犯して、それがセンセーショナルに報道されて。不安定・未完成な存在としてとらえられがちな少年を、誇張したキャラなのかな、とか。
グローバルに広がる経済によって、世界中のあらゆるものが繋がっていて。どんな行動も最終的には他人の生死に影響を与えている。そんなことかな、とか。
読んでるうちにそういう風にも思えてきて、意外にすんなり物語に入り込めました。
第2巻まで読むともっとはっきりするんですが。そもそも作品のテーマ的に・意図的に、こういった立ち位置(「俺には人を殺す習慣がある。」)に設定してる気がします。
そんな彼が、偶然ある少女と知り合って、まるでハードボイルド(笑)なお話になったと思ったら、予想の斜め上を行く展開で――、というのが、第1巻のストーリー。
第2巻の主人公は、同じく全死の関係者の少女。「革命」を志向するものの、いまだ何者でもない、ただの中学生である彼女は実は、……飛鳥井全死の「奴隷」です。
これもまたギョッとしますけど(笑)。いろいろ踏まえてわざわざこういう表現なんだと思いますが、ごく単純に穏便な言い方をすれば、全死に心酔してるってことです。
そんな彼女が、学校生活の中で、言ってみれば人間関係の問題にぶち当たって――、というのが、第2巻のストーリー。
個人的には、第2巻の方が、お話としても、設定的にだいぶいろいろ見えてくるという意味でも、より面白く読めました。もちろん、第1巻あっての第2巻ではありますが。
そういうことを見越してなのか、どうなのか、この第1巻と第2巻とは、2冊同時刊行されています。
第1巻あとがきに、この小説は「今この世界において生きるとはどういうことか」を描いた、「世界についてのそれなりに真摯な一つの素描」、とありますが。
「関数」とか、「自由」とか、「可能性マトリクス」とか、「自走性システム」とか。そういう一つのラディカルな現状認識として、非常に面白い作品だと思います。
そしておそらくそのあたりが、第1巻カバー裏表紙の内容紹介に、「21世紀に贈る新解釈の人類最終戦争の物語」とある、最大の理由じゃないのかな、と。
つまり、従来型のそれとは全く異なるやり方で、読者の現実と接点を持つ。全く新しい考え方で、読者の現実と接続する。これはそういう作品なんだろうと思うのです。
「庫持」や「殉教体」などなど、様々な組織や勢力と、一癖も二癖もある登場人物たちが入り乱れて。エンターテインメント作品としても盛り上がってきましたし。
設定の裏打ちも、今後の展開の見通しも、しっかりある感じなので。
この続編を、是非ちゃんと出して欲しいです。