続・『全死大戦 1』『全死大戦 2』

先週、『全死大戦 1』『全死大戦 2』の感想をブログにアップしたあと、ネットでいくつか、『全死大戦』の感想を読ませてもらったんですが。
少し気になることがあったので、ちょっと続きです。


(残りの12行、ネタバレあり)
思ったんですが、第1巻・第2巻での「メタテキスト」についての説明って、やや誤解を招きやすい面もあるのかも、と。
と言うか、ある意味、意図的に、ミスリードしてる部分もあるんじゃないのかな、と。
で、そういう誤解が解消される、もしくは登場人物自身がその誤解に気づくっていうのが、このシリーズの一つの山場になるのかも、なんて思ったり。
「メタテキスト」というのは、「思考」とか「感情」とか「精神」とか「人格」とかそのものではないし。
「メタテキストを「読む」」と言っても、「個人の内部に隠されている何かを覗き見るのではない。」
だけれども、「メタテキスト」というのは、例えば“運命”とか、そういったカテゴリーの概念でもないだろうと思います。

飛鳥井全死:「結局のところ、メタテキストってのは人間がそれぞれ持つ視座のことだ」

飛鳥井全死:「視点じゃない、視座だ」
飛鳥井全死:「視点みたいなスタティックなもんじゃない。もっとダイナミックなもんだ」

飛鳥井全死:「違う喩えをするとだな、座標じゃなくて、微分係数でもなくて、関数そのもののことだ」

(上記はあくまでも、第2巻まで読んだ、自分の勝手な個人的理解です。もっと詳しくて、そしてもちろん正しい説明は、『全死大戦』作品本文をご覧ください。)
この作品は、素直にエンターテインメントとしても楽しめますが。そんな感じで、内容的にも相当深いと思います。