『NOVA 6』

SFを中心に書き下ろしの新作短編を集めるオリジナル・アンソロジー《NOVA》シリーズの第6巻。昨年、2011年11月発行。
《NOVA》シリーズと言えば、来週、3月6日には、シリーズ最新巻『NOVA 7』が発売予定となっていますが。
公開されている書影では、第7巻は、表紙の題字が今までのと違ってますね。ちょっぴりリニューアル?
執筆陣は、扇智史先生、小川一水先生、壁井ユカコ先生、増田俊也先生、宮内悠介先生ほか。全10作収録。
それでは話を戻して、以下、『NOVA 6』の感想です。


(残りの22行、ネタバレあり)

《NOVA》シリーズ3度目の登場となる斉藤先生の作品。『NOVA 4』掲載の『ドリフター』の姉妹編ですが、話は完全に独立しているので、そちらを未読でも問題ありません。
風邪、花粉症、その他さまざまな理由から、マスク姿の人を街中で見かけるのは、今ではすっかり普通のことになりましたが。
それがさらに進んで、白い袋で頭部をまるごと覆う、「全頭マスク」なるものが登場・使われ始めたという設定のお話。
主人公とヒロインの、天然系のとぼけた言動が、いちいちかわいらしくて可笑しいのですが、終盤はさすがにちょっと、とぼけ過ぎ(笑)。
もちろんそんな部分は、誇張として、風刺的にも読めますし、観測する主体と行為する主体の乖離みたいなところは、実は案外、深いのかも。

《NOVA》シリーズ初登場となる樺山三英先生の作品。庭師に弟子入りをした主人公が、その庭師の後について、いくつもの庭を巡りながら修行していくお話。
この作品に限ったことではありませんが、“庭園”ってなんかいいですよね。もちろんそんな立派なものは、個人ではなかなか持てませんけど。
だからなおさら幻想的・非現実的で、想像力を刺激されます。この作品の冒頭に出てくる庭とか、特にそんな感じ。
「そこにいるのに、そこにいない」「すべてが密に絡み合い、結びあわされていく」「ぼくらは奇妙に二重化している」「どれもが密に犇めき合って、お互いに折り重なっている」……。
大森望先生の解説にもあるように、ホルヘ・ルイス・ボルヘス先生の作品を思わせるような、意味深長で示唆的な文章の作品ですが。
それぞれの庭の描写の合間合間に挟まれる、主人公の語りの部分に、中盤から、現実の・実在のウィトゲンシュタインのエピソードなどが出てきて、あ、なるほどなぁ、と。

「きみはどうやら、無限という言葉に惑わされている。我々はともするとそれを、実体を持つもののように考えてしまう。だがそれは間違っている。我々は無限の代わりに、規則について考えるべきだ」

「ただ規則の適用だけが、計算を継続させる。無限とは、そうした手順が可能的に生み出すものに他ならない」

「答えならもう出ているだろう。庭園とは、虚構の自然を生み出す装置だ。それはつまり」――。
ウィトゲンシュタインアラン・チューリングが出会った、さらにその先の未来を指し示すような、そんな非常に面白い作品でした。

『NOVA 2』収録の『聖痕』以来、《NOVA》シリーズ2度目の登場となる宮部先生の作品。その『聖痕』とは全く別のお話です。
主人公は、小さな田舎町・〈ザ・タウン〉でただ一人の保安官。今日も町のさまざまなトラブルに対処していきますが、この〈ザ・タウン〉には実は秘密があるようで……。
〈ザ・タウン〉が「デラックスな」“庭”なら、保安官はさしずめ“庭師”といったところですが、こちらは人生のほろ苦さを味わうような作品かな、と。


そのほかの作品も面白かったです。