『鳥はいまどこを飛ぶか』

正式なタイトル(?)は、『鳥はいまどこを飛ぶか 山野浩一傑作選 I』。
『花と機械とゲシタルト』や雑誌『NW-SF』の創刊など、日本のニュー・ウェーブSFの旗手として知られる、山野浩一(やまの・こういち)先生の作品集。2011年10月発行。
先週、7月8日発売の、完全新作オール読切アンソロジー『NOVA 10』に、その山野先生の33年ぶりの新作が収録ということで、この機会にこちらの傑作選の感想を。


(残りの31行、ネタバレあり)

  • 『鳥はいまどこを飛ぶか』

不思議な鳥が眼前を横切って飛ぶたびに、別の世界へ次元移動してしまう男のお話。次元移動による世界の変化は、一歩歩いた時の視界の変化のようなものなのですが……。

私は図書館を出て、公園の噴水の周囲を歩きながら思わず笑ってしまった。私はすっかり欺かれていたのだ。

それらの景色のパターンは鮮明なスライド写真でしかなかった。鳥が一羽飛べば次の写真にすり変わってしまうのだ。これが存在だというのか!

  • 『消えた街』

今の僕の意志は虚構なのだろうか? 僕の生活は実体ではないのだろうか? 僕のこの現実は、僕の意識とは別世界で展開されているのだろうか?

ちょっとしたことをきっかけに、今の日常生活に疑問を抱いた主人公が、自分の帰る団地があるはずの場所で、見た事のない荒野に迷い込んで……というお話。

  • 『赤い貨物列車』

只単に二つの街の間を列車が結ぶのではなく、この街から大阪へ向かうという状況の中での動点の存在が列車というものであり、それが旅行なのだ。

観光地から自らの住む大阪へと帰っていく主人公が、夜行列車の中で殺人事件に巻き込まれてしまうお話。

  • 『X電車で行こう』

鉄道好きな主人公が、ある時、突如出現した、目には見えない『幽霊電車』を追いかけていくお話。

考えてみれば俺だってそうだ。俺が鉄道という許し得る世界に自分を求めた時、はじめて俺という意志を持ち、ただ単に社会に操られて老いてゆく俺以外の、俺自身というものが存在し得るのだ。

  • 『マインド・ウインド』

出張先の地方都市で、『散歩族』と呼ばれる不思議な群衆に出合った男のお話。

マインド・ウインド――あの風はどこからやってきて、どこへみんなを連れて行こうとしているのだろうか?

あの風にある奇妙な存在感は何だろう? 丁度、空気が静止している時には存在感がないのに、移動を始めて風となった時に感じる存在感のように、マインド・ウインドは心の存在を実感させてくれる。

  • 『カルブ爆撃隊』

会社帰りに、飲みに連れていってもらっただけ、のはずの主人公が、とんでもなく不条理な運命に巻き込まれていくお話。

私の中に記憶が生まれようとしていた。
カードは何度も取り換えられることで整然とした手札を形成していったのだ。

記憶は一つの物語となり、私自身の体験として筋道立っていった。それは私のフィクションのようであり、留置場で読んだ唯一の物語の筋のままのようでもあった。

  • 『虹の彼女』

毎日をもてあましているかのように、また何かを待ち続けているように過ごす主人公が、「連想ゲーム」をしているうちに、見知らぬ空間に入り込んで……というお話。

「あなたは形と存在とどちらが先だと思うの? 存在しなければ形はないわ。だけど形のない存在は可能なはずだわ。」

「ここがそうよ。ここは形がなく、だから形を求めているのよ。私たちの頭の中の情報がこの世界に形を与えようとしているのよ」

テレビでアニメを見ている時、画面の中では、絵が実際に動いているわけではありません。少しずつ変化していく静止画が、順番に映し出されているだけです。
そうした一連の静止画が、ある程度以上、素早く次々に切り替えられていくと、絵がまるで動いているように見えるのです。
人間は、普段どんなに目を見開いていても、現実をありのままにとらえているわけではなくて、そしてそれは何も、外の世界に限った話ではないのです。
既刊書から「失踪=不在」という一貫したテーマを追って構成された傑作選。同時発売の『殺人者の空 山野浩一傑作選 II』の方も、いずれまた読んでみようと思います。
(本当は、寺山修司先生の「サラブレッドは走る忘却である――」と絡めていったん書き上げたんですが、あまりにも長くなりすぎたので、結局すべて削りました(笑)。)