『天帝のはしたなき果実』

再来週、12月16日は、第46回衆議院議員選挙(ならびに第18回東京都知事選挙)の投票日(予定)ということで、文字通り、政治家の先生方も走り回る師走ですが。
そんな年の瀬に、今年読もうと思ってて読みそびれていた作品を、なんとか少しでも片付けてしまおうという、歳末在庫一掃特別企画(笑)・その1。
『天帝』シリーズ『探偵小説』シリーズなどで知られる、古野まほろ(ふるの・まほろ)先生の、第35回メフィスト賞受賞作にしてデビュー作。『天帝』シリーズの1作目。
もともとは講談社ノベルスで、2007年1月から刊行されていたこのシリーズですが、現在は出版元を幻冬舎に移し、去年、2011年10月に、この第1作が全面改稿され文庫化。
さらに待望のシリーズ新作・第5作も、同じく去年10月に、単行本として発売され、そして今年、2012年6月には、シリーズ第2作も、改稿のうえ文庫化されています。
それでは以下、その幻冬舎文庫版『天帝のはしたなき果実』の感想です。


(残りの20行、ネタバレあり)

穴井戸栄子:「いいこと、まほまほ、よくお聴き。此岸のあらゆる事象は中立、事象自体には好悪の属性がない。問題はねまほちゃん、事象をどう理解するかなの。好悪の識別なんてものは、ヒトのこころのなかにしかない」

主人公の高校生・古野まほろが、学園の七不思議を調査中だった友人の、突然の死の謎を、吹奏楽部の仲間たちと探るうち、さらなる事件に巻き込まれて……といったお話。
物語の舞台となるのは現代日本なのですが、貴族院帝国陸軍特別高等警察など、昭和戦前期の法制度・社会制度等が、今も存続しているという設定になっていて。
そんな仰々しい、しかし探偵小説にはうってつけの雰囲気の中で、超高校生級の知性と教養を備えた吹奏楽部のメンバーたちが、壮絶な推理合戦を繰り広げていきます。
彼らが、英・仏・独・ロシア語等を駆使し、音楽、グルメ、神話、歴史、もちろん推理小説や現代思想まで、あらゆる知識を披露していくさまは、目眩がするほど(笑)。
「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ」「血液型青(ブラッドタイプ・ブルー)」「S2機関搭載型のMark.06」など、『エヴァンゲリオン』等のアニメ・特撮ネタも満載です。
ただ、この情報量では1周目は、ストーリーを追うのに手一杯で、そうした蘊蓄、パロディーなどは、2周目の方がより楽しめました。
文中の言葉を借りれば、これも、「知ることで。開くことで。あるいは秘めることで。」「世界が豹変する」、そういう体験にあたるかなと(笑)。
「一音入魂」「汝が刹那を永遠にせよ」「『いま、ここ』だけが藝術だぞ」とか、「僕を、救けてね」「音楽?」「それとも人生?」「今、そのふたつはひとつだよ」とか。
主要登場人物たちのほとんどが、高校の吹奏楽部の関係者ということで、音楽に情熱を傾ける若者の、青春ドラマとしても楽しめます。
さて本筋の事件の方は、その謎の解明に挑む主人公に対し、吹奏楽部OBで顧問の教師が、なぜかたびたび警告を発します。帰って来られなくなる、阻止限界点は近いと。

「この問題はな」と瀬尾。「偽問題だ。世界と個人、天界と此岸、饗宴と生活――それらを対立させようとする最悪の二元論を、怖れろ」

ところで実は、主人公は、本人が言うところの「死に至る病」、死にたいという本能に憑かれてしまったかのような、鬱病を抱えて・隠して、日々を送っているのですが。
容姿や身体能力などに関する劣等感も相まって、この世界に居場所がないようにも感じていて。そんな主人公の疎外感が、終盤、思わぬ方向へと物語的に発展していきます。

柏木照穂:「……お前は違う、お前は対になることのできる奴だ。お前の語る言葉は語られる言葉になる。お前は結節点だ。そこで生まれる意味の裂開こそ、ヒトとヒトとが解りあえるという、何よりの証左だから」

かつて鬱病で入院中、(何事も悲観的に、悪い方へ悪い方へと)考えず、休むよう諭す主治医に対し、主人公・古野まほろは、「小説を」「書きます」と宣言します。
そして今まさに、彼岸と此岸との岐路に立たされた彼は、愛する者たちの待つこちら側へ、はたして帰って来られるのか、また物語を紡ぐことが出来るのか――。
計768ページというボリュームに、大量に振られた外国語読みのルビも合わせると、普通の文庫本3冊分はありそうな文章量で、読み通すのはさすがに時間がかかりますが。
青春×SF×幻想の要素を盛り込んだ、最上かつ型破りな伝説の本格ミステリ小説として、たしかに読みごたえがありましたし、テーマ的にも非常に興味深い内容でした。
現在、講談社ノベルス版は入手しづらいようですし、今後も幻冬舎版の方で、シリーズを追っかけていきたいと思います。