『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』に続く、全4部作予定のシリーズ第3部。
企画・原作・脚本/庵野秀明、主・キャラクターデザイン/貞本義行、主・メカニックデザイン/山下いくと、制作/スタジオカラー、監督/摩砂雪前田真宏鶴巻和哉、総監督/庵野秀明
先週、11月17日公開の本作、ネタバレが怖いので早速、と言うか、1回目はパンフレットが売り切れで買えなくて、早くも2回目、見てきました。以下、その感想です。


(残りの22行、ネタバレあり)
公開前日に日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で放送された、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 冒頭6分38秒 TV版』を事前に見てたんですが。
映画館で見ると、映像も音響も、迫力がまるで違う!というのでまず(勝手に)驚いて。
そしてその後の展開にも、えっ、どこ? ホントに『ふしぎの海のナディア』なの?? 『エヴァ』ってこんな話だったっけ!?と、序盤はまさに、疑問符と驚きの連続でした。
前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の時から、旧テレビシリーズとは少しずつ違ってきてましたけど、この『Q』からはもう、全く新しいお話になってきてますね。
その『新劇場版:破』で、レイが、「エヴァは自分の心の鏡……」と言ってますが。
汎用ヒト型決戦兵器・人造人間エヴァンゲリオンというのはまさしく、人間のメタファーであるように思えます。
主人公(碇シンジ)は、そのエヴァに乗って、他人や世界と対峙していくのですが。
闘争本能をむき出しにしても勝てない敵(第10の使徒)を前にして、最終的に、母親の生まれ変わりのような少女(綾波レイ)だけは助けたいと強く願い、勝利します。
しかし『破』でのゲンドウと冬月の会話(「カオスはヒトの印象にすぎない。世界は全て調和と秩序で成り立っている」「……ヒトの心が世界を乱すか」)にあるように。
ヒトを超えた神に近い存在へと変わったエヴァが、破壊し、創造した世界は、ほとんどの人間が消えてしまった、荒涼とした地獄絵図で。
一緒に戦ってくれていたはずのミサトさんたちも、ほかの人たちとエヴァに(エヴァをメインエンジンとする戦闘艦に)乗っていて、そこには仲間に入れてもらえなくて。
自らの招いた結果に絶望した主人公は、「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」と言ってくれる少年(渚カヲル)とともに再び世界を……というのが、今回のお話かなと。
1回目、この映画を見たときには、例の赤い海とか、赤い廃墟とか、ずいぶんと寒々しい心象風景だなぁと思ってたんですが。
2回目見たときには、だいぶ気持ちに余裕も出てきて、落ち着いて見られて、画面に美しさすら感じました。
シンジと冬月が将棋をするシーンは、まるで舞台劇のような場面デザインだし、カヲルのピアノがある区画も、龍安寺の石庭のような、枯山水的な抽象的美しさがある。
星空を見ていると、(広大で深遠で、無慈悲な)宇宙を見ていると、なぜだか心が落ち着くんだ、みたいな話をたしか、シンジくんとカヲルがしていましたが。
見方を変えると、目の前の“庭”がまさしくそんな宇宙なんだ――“庭”を通して宇宙を見る、というのが、今作のシリーズ中での位置づけ・役割なのかもと思ったり。
(映像面であと付け加えるなら、凝ったカメラアングルや極端な顔のアップなど、自分が好きだったスタイリッシュな『エヴァ』っぽさも全開で、そこも良かったです。)
意志が(まわり回って)自分をも変えていく(←うろ覚え)とか、縁が君を導くよとか、なんかいろいろカヲルくんも言ってましたし。
なんだかんだ言って迎えにきてくれるアスカはやっぱりツンデレだし、レイもなんだか変化の兆しだし。
「終わる世界の中で、私以外の存在に希望を抱きながら」(同時上映『巨神兵東京に現わる 劇場版』より)、シンジくんは今度こそ、新世界へとたどり着けるのか――。
というわけで、シリーズ完結編とされている次回作、公式サイトでも公開されてるけどタイトル入力できないアレ(笑)、今からとっても楽しみです!