『屍者の帝国』

日本SF大賞作家・伊藤計劃(いとう・けいかく)先生の未完の絶筆を引き継いで、芥川賞作家・円城塔(えんじょう・とう)先生が完成させた、去年8月発売の話題作。
2012年の日本SF大賞・特別賞を受賞したその作品が、2013年の本屋大賞にもノミネートされたと、先週、1月21日に発表がありました。
自分はあいにく、そのほかの候補作は未読なのですが、こちらの『屍者の帝国』は読みましたので、この機会に感想を。


(残りの22行、ネタバレあり)

ジョン・H・ワトソン:わたしたちは個別に物語を保持し、自分の意思と信じるものに従って行動している。

ジョン・H・ワトソン:わたしたちは物理的な現象だが、同時に意味を上書きしながら生きている。

フランケンシュタインの技術により、死者を労働力として利用している、架空の19世紀末を舞台に、大英帝国の秘密諜報員が、謎に導かれて世界を駆け巡るお話。
で、その諜報員というのが、『シャーロック・ホームズ』でおなじみのワトソンその人で、彼が名探偵と出会うまでの、1878年から1881年の間で、物語は進行していきます。
ジャンルとしては「歴史改変もの」ですが、SF、ミステリー、ホラー、コメディなどなど、各種要素を取り揃えて詰め込んだ、エンターテイメント作品に仕上がっていて。
SF的な事柄や理屈に関しても、後述の「あとがきに代えて」などにもあるように、設定的には割と緩くて、あまり真面目に文字通りに、受け取らなくて良さそうな感じ。
虚構・実在を問わず、様々な人物、事件を、膨大な史実を少しずつずらすようにして、アクロバティックに登場させながら、そして旅の終わりに、一つのノートが残ります。

ジョン・H・ワトソン:わたしは、フライデーのノートに書き記された文字列と何ら変わることのない存在だ。

ジョン・H・ワトソン:わたしはフライデーの書き記してきたノートと、将来的なその読み手の間に存在することになる。

出版元・河出書房新社の『屍者の帝国』特設サイトに、円城塔先生による「『屍者の帝国』あとがきに代えて」と毎日jp(毎日新聞)でのインタビューへのリンクがあって。
今では盟友として知られる伊藤計劃先生と円城塔先生ですが、実際の交流は、2006年頃から伊藤先生の亡くなる2009年3月までの、ほんの三年に満たない期間だったようで。
しかしそうではあっても、「伊藤計劃の名前で商売している」、「死体を働かせる」ことに対する覚悟や、伊藤先生の作品を語り継ぐことへの強い想いを感じました。
最初に書いたように、この作品は両先生の共著ということになりますが、具体的には、プロローグ部分を伊藤計劃先生が、第一部以降を円城塔先生が担当されたとのこと。
第一部の冒頭で象徴的に示されるように、言ってみればそこから、“語り手”が交代していることになります。
かけがえのない、得がたい日々をともに過ごし、そして異なる言葉の地平へと旅立った人に向け、冥福を祈る、ではなく、投げかける言葉――。

フライデー:せめてただほんの一言を、あなたに聞いてもらいたい。
フライデー:「ありがとう」
フライデー:もしこの言葉が届くのならば、時間は動きはじめるだろう。

フライデー:叶うのならば、この言葉が物質化して、あなたの残した物語に新たな生命をもたらしますよう。
フライデー:ありがとう。

「わたし」を形作るのは何か?といったテーマもはらみつつ、世界中を巻き込んで、一つの書物がもたらす、奇跡のような物語。
伊藤計劃先生の着想と円城塔先生の想像力と、そしてもちろんお二人の友情とが生み出した、大変な感動作でした。