『パーフェクトフレンド』

『[映]アムリタ』『小説家の作り方』などで知られる、野粼まど(のざき・まど)先生の、去年、2011年8月発行の作品。
先週、8月25日に、実に1年ぶりとなる新刊・『2』が発売されたということで、1年前のこの作品・『パーフェクトフレンド』の感想です。


(残りの16行、ネタバレあり)

それは理桜の事を考えての発言ではないのかもしれない。いや多分何も考えてないのだろう。さなかは独自の論理に沿って出た答えを、相手の事を何も考えずに口にしただけなのだろう。

それでも理桜はありがたいと思った。そして嬉しかった。

一人の少女が、友達の素晴らしさを学び、一回り成長するお話。ただし、もちろんそこは野粼先生。素直な感動ストーリーになるはずはありません(?笑)。
この物語の主人公は、小学校四年生になろうという歳で、すでに大学まで出ている天才児。
「一度学んだことを繰り返して学ぶ気にはなれない」という理由で不登校だった彼女は、クラス委員の女の子の訪問を契機に、“友達”というものに興味を持ち始めます。
友達は必要か、必要でないのか。いやそもそも、友達とは何なのか。
彼女たちはまず辞書を引いて、その定義を調べるのですが、どの辞書も文章は大体同じで、当たり前のことしか書かれておらず、いまいち役に立ちません。
あとがきに「どんな概念にも境界の曖昧さは必ず存在します。」とありますが、そういう事情も、彼女たちを悩ませる要因の一つですよね。
けれど、そこはさすがの天才児。独自の論理的思考で、マクロな観点から、“友達”というものを解き明かしますが。
いつもはいいように弄ばれているクラス委員の子が気付くように、その“答え”には、友達のいる人間なら誰でも解る、あまりにも当然の話が抜け落ちていて。
その論理の破綻は、彼女たちを突然襲ったある事件によって、決定的に露わになってしまいます。
そんな時、主人公の前には予想もしなかった人物が現れます。そしてその人物は、“友達”についての“答え”を語り、たった一つだけ“魔法”を見せてくれるのでした。

「よく帰ってきたね、さなか。迷いの道は長くて辛かっただろう。でも、もう大丈夫。君はもう迷わない。迷いの道を抜けた君は“モノの見方”を手に入れた。君はもう、世界の本当の見方を知っている」

“友達とは何か”“友達はなぜ必要か”そして“友達は作れるか”? 主人公が手に入れた「世界の正しい捉え方」と、そうして見えてくる今回の事件の“真実”とは――?
人を食ったようなとぼけた主人公と周囲の人たちとの掛け合いも軽妙で可笑しいですし、内容的にも面白かったです。
最後はどうやら野粼先生のデビュー作・『[映]アムリタ』とリンクしているようですが(?)、残念ながら自分は未読。機会があれば、そちらも読んでみようと思います。