『道化師の蝶』

オブ・ザ・ベースボール』『烏有此譚』などで知られる、円城塔(えんじょう・とう)先生の、第146回芥川賞受賞作。今年、2012年1月発行(電子書籍版も発売中)。
さて、円城先生と言えば、その芥川賞受賞会見で明らかにされた新作・『屍者の帝国』が、来週、8月27日にいよいよ発売となります。
こちらは、作家デビュー以前から何かと縁が深かった、故・伊藤計劃(いとう・けいかく)先生の未完の絶筆を引き継いだ作品で。
「フランケンシュタインの技術が全世界に拡散した19世紀末、英国政府機関の密命を受け、秘密諜報員ワトソンの冒険が、いま始まる。」といった内容。
日本SF大賞作家×芥川賞作家――最強のコンビが贈る、大冒険長編小説。全く新しいエンタテインメント文学の誕生!」との宣伝文句も、非常に興味をそそられます。
それでは話を戻して、『道化師の蝶』収録の表題作・『道化師の蝶』の感想です。


(残りの28行、ネタバレあり)

繰り返し語られ直すエピソードが、互いに食い違いを見せるたび、文法の方が変化していく言語というのはないものだろうか。

単に気がついていないだけということは。
流れが尾を噛み輪になれば、それはもう流れではなくなるだろう。

着想を捕まえる虫採り網と、希代の多言語作家・「友幸友幸」をめぐる物語。少なくとも、表面上は。
この作品は、以下のような、5つの章から成っています。
第I章は、「わたし」が、東京―シアトル間の飛行中に、着想を捕まえるという小さな虫採り網を持った、「エイブラムス」氏と知り合うお話。
第II章は、謎の多言語作家・「友幸友幸」についての考察。実は第I章は、この第II章の語り手・「わたし」による、「友幸友幸」の小説の翻訳であると明かされます。
第III章は、手芸を生活手段として、世界を旅する「わたし」のお話。どうやらこの第III章の「わたし」が、着想を捕まえる虫採り網を、将来編むことになるらしい。
第IV章は、謎の多言語作家・「友幸友幸」の捜索を仕事にしている「わたし」のお話。どうやらこの第IV章の「わたし」は、第II章の語り手と同一人物のようです。
第V章は、「友幸友幸」の作品を収集している「エイブラムス」記念館に、非常勤で勤務する「わたし」のお話。
どうやらこの第V章の「わたし」は、第III章の語り手と同一人物で、希代の多言語作家・「友幸友幸」その人でもあるみたい……?
ごくごく大雑把に書くと、以上のような感じなのですが、実際には、事実関係が各章で微妙に食い違ってねじれていて、なかなか意味のとらえづらい作品になっています。
そもそも第I章の発端が、「旅行の間は本を読めない」、「気分がどうにもそぞろになって、活字が頭に入らない」という、「わたし」の個人的な内面で。
自分も今回、この本を、帰省の行き帰り、新幹線の車中で読んでいたのですが、たしかにどうにも集中できず、気がつかないうちに眠り込んでしまっていたり(笑)。
「時間も場所も脈絡もどんどんとりとめもなくなって」、「内容がどんどん分裂していき」、前に何が書かれていたのか・先に何が書いてあるのか「霧に包まれてしまう」。
エイブラムス氏が飛行機の中で見つけた不思議な蝶。その模様は、羽を「閉じている間だけ現れる」。あるいは、飛行を「見つめる間に瞬く」。正に「道化師」そのもの。
友幸友幸の作品群とは、「発見されることにより駆動を続ける性質を備えた」巨大な装置なのでは。目につき、耳に飛び込んだ「部分部分を継ぎ接ぎして」ただ書いていく。
道具によって建築物は出現するが、ここには「先に建築物があり、建築物がある以上、道具もあったのだろうというような」逆転がある。
「夜には、文字を書いて過ごす」。ほとんど音だけの文章を、耳から聞いたなりに記していく。「考えるという行為はしないし、できるのだとも思えない」。
「意味のない、相矛盾する、脈絡さえも無茶苦茶な」お話がそこにあるとする。そんな無理無体なお話を「整合的に成り立たせる」言葉があったりしないだろうか――。

老人は網をエイブラムス氏の手に押し込んで、右手の蝶を宙へと放ち、わたしへ向けて大きく手を振る。
わたしはこうして解き放たれて、次に宿るべき人形(ひとがた)を求める旅へと戻る。

中国の思想書・『荘子』の中に、「胡蝶の夢」というお話が出てきます。自分が夢で蝶になったのか、蝶が夢で自分になったのか、区別がつかないという、あのお話です。
「繰り返される名前は呼びかけだ。」だとすると、友幸友幸の部屋に出入りが目撃されたアジア系の男性が「友幸」か。あるいは「二人編みをしたもう一人」がそうなのか。
「それが一体誰だったのか、わたしはもう覚えていない」けれども、旅先で出会ったそうした人々にまつわる果てしない語り直しから、今ようやく解放されて。
とある旅客機の中の、とある作家の頭の中で、形をとったのがこの作品なのかもと、夢現の頭の中で思ったり。
なお、この感想を書くに当たっては、『群像』2011年8月号掲載の合評と、WEB本の雑誌掲載の「円城塔『道化師の蝶』攻略ガイド」を、ともに参考にさせて頂きました。
どちらも講談社『道化師の蝶』特設ページからリンクがあります。そちらの方もあわせてどうぞ。