『ベティ・ザ・キッド』

テレビアニメ化もされた『魔術士オーフェン』シリーズや、『カナスピカ』『ハンターダーク』などで知られる、秋田禎信(あきた・よしのぶ)先生の作品。
秋田先生と言えば、その代表作・『魔術士オーフェンはぐれ旅』の新シリーズが、先週、9月24日発売の『同 キエサルヒマの終端』を皮切りに、3ヶ月連続で刊行されます。
そしてその新シリーズにあわせて、過去に出た長編シリーズ全20巻を全10巻に再編集した新装版も、同じく先週、9月24日から、10ヶ月連続で刊行予定となっています。
新装版は、新シリーズと同じサイズ・同じデザインとのこと。そのほか詳しくは、『魔術士オーフェンはぐれ旅』特設サイト、または秋田禎信先生の公式?サイトでどうぞ。
それでは、去年、2010年発行の『ベティ・ザ・キッド』(上・下巻)の、以下、感想です。


(残りの19行、ネタバレあり)

ゲイル・スタリーヘヴン:「生まれ持った罪と、生きて積み重ねた罪、疑問の答えは出たか? 何故と問うことに疲れて、逃げ出せる先があるなら逃げ出したいか? ならばヘヴンは解答だ……だが、他人の解答だ。忘れるな」

主人公は、名うての賞金稼ぎ・“キッド”。しかし実は彼は女性で、自身が濡れ衣を着せられて指名手配されるきっかけを作った、父親殺しの真犯人を追っています。
頼りになる伝説のガンマンと、先住民と入植者の混血児である、不思議な目を持つ少女を仲間に、仇討ちのための旅を続ける彼女でしたが。
その行く手には、思いもかけない大きな謎が待ちかまえていて……、といったお話。
荒野。決闘。列車強盗に、ならず者に、保安官。ガンマンの教えと、聖書と、フロンティア。まるっきり西部劇の世界ですが、この作品はそれだけではなく。
町の外れには荒野がありますが、さらにその先には砂漠が広がり、そこには、「砂鮫」や「砂ペンギン」といった独特の生き物たちが生息していて。
そしてまたその砂漠には、消えた先史文明の遺物が眠っていて、主人公たちも、その遺産である「戦車」に乗って砂漠を渡っていたりします。
さて、そんな舞台で、肝心の仇討ちですが、この父の仇というのが、本当にしぶとい(笑)。どんなに汚くても狡くても、ともかく悪知恵を使って生き延びます。
それに対して主人公の方も、父が殺されるまでろくに触ったこともなかった程度の銃の腕前ながら、身につけた知恵と仲間のサポートで、数々のピンチを切り抜けます。
対照的、あるいは共通しているのはそれだけではなく、実は父の仇の方も、自身の父親を殺され、復讐した過去を引きずっていたりします。
ところが、そうした西部劇フレーバーな復讐劇は、物語の中盤から、大きく方向を転回します。もちろんそれには、砂漠と、失われた先史文明が関わっているのですが。
先史文明最大の遺産・「ヘヴン」、すなわち「砂漠の解答」とは、果たしていったい何なのか? そして旅の終わりに、主人公たちが選ぶものは――。

だから、もと来た場所、あの闇にも闇でないものを見ている。
見える場所には行ける。それがシヤマニだ。

フラニー・ベリーズ:「旅はいいけど、帰る場所もあると、もっといいなって思う。その程度にはシヤマニなんだ」

復讐と冒険に彩られた、少し変わった西部劇として。あるいは、「共感」が駆動する「シンギュラリティ」を扱った、ハードSFとして。それぞれ楽しめますが。
やはり、あとがきにあるように、「信じるか信じないか」をテーマに、「人間を十把一絡げにしない」という、作者の創作論・哲学を語った作品のように思います。
詳しく見ていけばいくほど、よく出来た作品だというのが分かるのも、「砂一粒が一個の宇宙」で、全体が「膨大な演算装置」という、「砂漠」と対応してる気がします。
砂漠には謎がある。――謎を謎として、何故と問い続ける者たちにとっては、みたいな。面白かったです。