『ゼロ年代SF傑作選』

SFマガジン』に掲載された「リアル・フィクション」を中心とする、全部で8本の短篇を収録したアンソロジー。今年の2月発行。
なお、「リアル・フィクション」の定義などに関しては、SF・文芸評論家、藤田直哉先生による本書巻末解説をご覧ください。自分には到底簡単に要約できません(笑)。


(残りの29行、ネタバレあり)

勤め先の違法行為を内部告発しようとする女性が、事件の深刻化への対処として、法務局から、証人保護・生命保全プログラムを適用されるのだが……、というお話。
タイトルからも分かるとおり、『マルドゥック』シリーズの外伝的な作品のようです。
時系列的には、『マルドゥック・スクランブル』の前日譚にあたる、『マルドゥック・ヴェロシティ』の頃のエピソード?
法廷劇でよくある、法律の死角や不備を突いた駆け引き、やりとりが可笑しい。
もちろんそこは『マルドゥック』シリーズなので、舞台は法廷ではなく市街地で、実際に相手側とドンパチやりながら、なんですが(笑)。
真面目なテーマももちろんあって、短篇としても綺麗にまとまっていると思います。

  • 新城カズマ先生『アンジー・クレーマーにさよならを』

あり得たかもしれない――しかし事実ではない――古代(ギリシアの)スパルタの過去と、近未来における二人の少女の「『家族』という観念からの脱出」の物語。
「同じモチーフによるまったく別の歴史」が並行して語られる作品です。
作者自身の注釈によれば、自身の作品『サマー/タイム/トラベラー』の登場人物「A・K嬢」が書いた書簡体小説から、題名やモチーフなどを借用したということらしく。
ブートストラッピング的な(自分で自分の靴を引っ張りあげるような)、いかにもボルヘス先生の作品にありそうな再帰性を何重にも入れ子にした、面白い作品でした。

  • 元長柾木先生『デイドリーム、鳥のように』

穴穂津里緒:白昼夢が父親の運命を予言したのだとは思わない。人間にそんな大それたことが可能だとは思えない。ただ、人間の性質を見極めることくらいなら可能なのではないか。

他人の“物語”を、白昼夢の形で見ることのできる主人公が、この世界の構造を変容させてしまう、正体不明の組織と闘うお話。
『全死大戦』シリーズの外伝的な作品のようで、シリーズ本編に登場する、虚木藍という人物も出てきます。
まじめに考えると、なかなか深かったり、切なかったりするストーリーなんですが、そういうのとはまた別の意味でも泣けます(笑)。
『全死大戦』シリーズで重要と思われるキーワード、「メタテキスト」も、もちろん出てくるんですが。
この『デイドリーム、鳥のように』で語られる説明と、シリーズ本編での説明、シリーズの中心人物である飛鳥井全死の発言とは、内容的に多少ズレがある気もします。
それが、とりあえずの説明だからなのか、キャラによって理解度や解釈が違うからなのか、作品執筆時期の違いが原因か、あるいは単に気のせいなのかは分かりませんが。
それでも、いずれにせよ、「私的言語」など、このシリーズ全体の、バックボーン的なものへの手がかりにはなっているように思います。

IFF09270-01:『お前は本当にそこにいるのか? お前には本当に俺たちと同じような意識があって、俺たちと同じように物を考えてるのか?』

高高度の空と、そこで何百年も戦い続ける老朽戦闘機。
変わらない毎日にある時訪れた“異常事態”と、さらにその先の「決定的瞬間」――。
こういう、日常のささいなルーチンワークをストイックに積み重ねていって、その世界観や生き様を描く話って、けっこう好きです。
擬人化を通り越して、人間そのものを描いている感じもします。
姉妹篇であるらしい、『海原の用心棒』も読みたくなりました。


上記以外の作品も、そして藤田直哉先生の各篇・巻末解説も面白かったです。