『ウォッチメン』

原作:アラン・ムーア先生・作画:デイブ・ギボンズ先生のヒューゴー賞受賞作。
去年、『スリーハンドレッド』のザック・スナイダー監督により、実写映画化もされてました。
アラン・ムーア先生に関して言えば、去年10月に『フロム・ヘル』の日本語版が刊行され、それも評判になっているようです。
以下、小学館集英社プロダクション発行『ウォッチメン』日本語版の感想です。


(残りの22行、ネタバレあり)

サリー・ジュピター:「人間、歳を取ると物の見方が変わるものなのよ。昔はあんなに悩んだことが、些細なことに思えてくるの、そういうものなのよ」

もちろんこの作品は、そういった人生訓に回収できるようなことを伝えたいわけではないでしょう。
物語の舞台となるのは、(「ジョージ・オーウェルゆかりの1984年」の翌年である)1985年。核戦争の危機が目前に迫る東西冷戦下のアメリカ。
ただし、現実の(当時の)アメリカではなく、スーパーヒーローが実在する、もうひとつのアメリカです。
巻末の覚書にあるムーア先生の文章を読むと、既存のキャラを使って自由にお話を展開させたいという、ある意味“二次創作”的な発想から始まった企画ともとれますが。
もし本当にスーパーヒーローが存在したなら、それは世界にどんな影響を与えるのか。
科学に、人々に、社会に、政治に。(ちなみに、作中世界ではニクソン大統領が5期目の任期中。)世界全体に、非常に大きな影響を与えているはずです。
最初に「核戦争の危機が目前に迫る東西冷戦下」と書きましたが。読み始めたときはそんなことはあまり意識してなかったんですけれど。
各章ごとに、そして作中にも登場する、12時ちょっと前を指し示すアナログ時計や、作中のニュースなどによって、否が応でもそうした時代背景を意識させられます。
ストーリーとしては、とある殺人事件を発端にして徐々に明らかになる、登場人物たちの過去と現在進行中の事態の真相が、2本の柱となっています。
読んでて、このキャラは“悪者”として描かれているんだよね……、と思ったら、実はそうではなかったり。またその逆のパターンもあったりして。
この作品のテーマを構造的にも支えている(ように思える)、そうした意外性の連続がとても面白かったです。
加えて、各章の間に挟まれる、(架空の)自伝、報告書、作文、新聞記事や、“劇中劇”ならぬ“コミック中コミック”である『黒の船』など。
巻末の覚書に「そもそもはサブリミナル的効果を狙ったものだったが」「物語を語る上で不可欠なものとなっていった」とあるような。
そうした「第三者的なメタ視点からストーリーを補足」する、背景情報を使った作劇法も見事でした。
作画的にも、上述の「破滅時計」(世界終末時計)のメタファーと並んで、もうひとつ、「スマイリーマーク」が、最初から最後まで重要なキーとなっていて。
ラスト、(“めでたしめでたし”みたいなシーンで終わりじゃなくて)まだ続くの?!と驚いて、ほとんど意識に上らなかったんですけど、最後も確かにサブリミナル的。
あと、巻末の脚本抜粋を見るとよく分かるんですが、ひとコマひとコマにどれだけ情報を詰め込もうとしてるのか。ほんとにすごいと思いました。
で、読み終えて。やっぱりスーパーヒーローっていうのは、スーパーパワーであるアメリカを象徴してるのかな。
ワイルドだったり、セクシーだったり、善人だったり、理知的だったり……。そういういろいろな面が、それぞれのキャラに反映されているのかな、なんて。
そう思っていたんですけれど。Wikipediaの「ウォッチメン」の項目を読むと、もっと広く社会全体の、あるいは各個人の、様々な面を表現しているようですね。なるほど。
「誰が見張りを見張るのか?」 隅々までよく練り上げられた、とても面白い作品でした。