『さよならペンギン』

今年、2010年の日本SF大賞は、森見登美彦先生の『ペンギン・ハイウェイ』だったそうですが、それとは関係なく。
『ジョン平とぼくと』シリーズなどで知られる、大西科学(おおにしかがく)先生の作品。今年の5月発行。
大西科学先生と言えば、先週、12月25日発売の『S-Fマガジン 2011年2月号』に、短篇「ふるさとは時遠く」が掲載されています。
2月号恒例の日本SF特集として、他に、小川一水先生や、籘真千歳先生の作品なども。
さてそれでは話を戻して、さよなら2010年、今年最後の、以下、感想です。


(残りの13行、ネタバレあり)

南部観一郎:「しばしば『自意識』と呼ばれるそれは、脳の中で起きることを再解釈し、物語としてまとめあげる力をもった何かなのだろう。」

「観測者」として千五百年以上も生き続けている主人公は、相棒である「延長体」とともに、どこかにいるかも知れない他の「観測者」を探し回る毎日を送っていたが。
そんないつもの探索の途中で不意に、全身、闇そのものと言っていい、黒ずくめの男に襲われる……。
「観測者」というのは、とりあえず、実際に観測するまで量子の状態は収束しない、というような、量子力学的な意味合いでの観測者のことです。
一方の「延長体」についても、本文中に、元ネタっぽい事柄への言及はあるんですが。アイデアの組み合わせ方やその解釈が、ユニークでとても面白いと思いました。
延長というか、漏れ出すというか、はみ出ちゃってるというか。なるほどな、と。
この「延長体」というのは、キャラクター造形的にも面白くて、見ている者の「認識」が突然、裏返るかのように、いろいろな姿に一瞬で変身します。
「まあ、少なくとも、ペンギンだと魚はうまい」なんて言うペンギンだったり、「ロリコンは死ねばいいと思うな」なんて言う五歳くらいの女児だったり(笑)。
ふざけた、とぼけた、どことなく人をからかっているような、でもなんとなく放っておけない、不思議な存在。
そんな彼らが、ぞっとするような事件と衝撃の告白を経て、「延長体」の真実、そして自らの存在理由といったものに、正面から向き合うことになります。

ペンドラゴン:「選べ、南部。観測者は選択者じゃない。でも、これは選べるはずだ。」

観測者が観測した世界と、選べなかった世界、あり得た未来。そうして主人公がたどり着いた、生きる意味とは――。
カバー裏表紙の内容紹介に、「哀愁の量子ペンギンSF」とあるんですが(笑)。でもそれはまさにその通りの、喪失と再生の、前向きな物語でした。