『ロジック・ロック・フェスティバル』

正式なタイトルは、『ロジック・ロック・フェスティバル ~Logic Lock Festival~ 探偵殺しのパラドックス』。
これがデビュー作となる新人・中村あき(なかむら・あき)先生の、2013年夏・星海社FICTIONS新人賞受賞作。
先月、11月14日発行の書籍版には、CLAMP先生による大判のカラーイラストや、中村先生自身によるあとがきも収録されているのですが。
小説の本文自体は、星海社のウェブサイト・「最前線」にて、全文が期間無期限で公開されています。


(残りの27行、ネタバレあり)

中村あき:「それは探偵の成す行為に対する懐疑かな。それならこういう議論もあるよね。
――探偵は作中において自分の語る最終的な論理を客観的に証明できない。
――また自分が事件に関係することで少なからずの影響をそこに与えることになる。」

中村あき:「もはや説明も不要なほど高名な推理小説作家、エラリー・クイーンの後期作品群より抽出された、探偵の存在そのものに疑問を投げ掛ける二つの命題だけど」

鋸りり子:「そんな小難しいものに依らなくたって少し考えれば分かるのよ。探偵が所詮不完全で不自然な存在だってこと。探偵が探偵を降りたらそれが一番平和的だと思わないかしら?」

鋸りり子:「そうなったら小さないざこざは当事者間で望む形に収束されるだろうし、大きな案件は法治国家のあるべき手続きの下、警察と裁判所によって終息されるじゃない?」

県下に名立たる名門校を舞台に、主人公である高校生・中村あきが、文化祭の実行委員を務めるかたわら、仲間たちとともに学園のトラブルを解決していくお話。
“まだあった「新本格推理小説(ミステリ)!”とオビで謳うだけあって、まず伏線の張り方が、実に丁寧と言うか律儀です。
推理小説に疎い自分でも、(あとでどうトリックに繋がるのかは分からないけど)ここはたぶん重要な部分なんだろうなと、読んでる途中で分かってしまうくらい(笑)。
ただこれは、多くのアイデアを、割と短めの作品に詰め込んだ、その結果なのかも知れず。と言うのも、無名の新人作品の場合、あまり長いと、手を出しづらいものですし。
実際自分も、このくらいの分量ならと、試しに読み始めたら、するすると読み終えてしまって、この感想を書いている次第です。(気づかない伏線ももちろんあります。)
さてストーリーは、前述の通り、推理によるトラブル解決がメインとなっているのですが。これは、推理による事件解明とはちょっと異なります。
主人公は常に、事態が穏便に済むように・最善になるようにと、少し開示の順序を工夫して、時には恣意的な操作も入れさせてもらいつつ、トラブルを解決へと導くのです。
しかし遂に訪れた文化祭当日、そんな主人公のやり方では手に負えないような、本物の事件が起きてしまって――。
当たり前の話ですが、人間は一人一人違います。その立場や利害、手にした情報や知識体系によって、本作終盤の推理合戦同様、様々な“真相”を紡ぐことが可能です。
異なる意見を乗り越える努力はもちろん否定しませんが、意見が異なること自体を、ことさらストレスに感じる必要はないと思います。
ただし、ある意味暴力的に、事件へと介入し、あるべき運命を変えてしまう、“名探偵”ともなると、話は別です。
前回の『魍魎の匣』の表現を借りるなら、探偵とは、事件という他人の物語・犯人と被害者だけで完結している芝居の筋書きを、途中から勝手に変えてしまう道化なのです。
そうした探偵行為に対する責任への、主人公とヒロインの自覚の差が、この物語を最終的な結末へと導くことになります。

鋸りり子が真実を追い、探偵として語り続けてきたならば。
僕はいわば真実から逃げ、探偵を騙り続けてきた。

――エゴイズムとナルシシズムの権化。
そうだ、それが、きっと僕だ。

それでも。
りり子の裁きは、一方では赦しであってくれたから――。

ボーイ・ミーツ・ガールな推理小説として、この一冊できれいに終わってますが、ヒロインの過去など、いくつか謎も残ってますし、まだまだ続きが書けそうな、この作品。
「原動力は青春時代に置き忘れてきた自意識と推理小説への執心、それだけ」と言う通り、様々なミステリへの思い入れとオマージュが溢れた、瑞瑞しいデビュー作でした。