『一九八四年 [新訳版]』

『動物農園』『カタロニア讃歌』などでも知られる、ジョージ・オーウェル先生の作品。原書は1949年発表。こちらは高橋和久先生による、2009年の新訳版です。
近年は村上春樹先生の『1Q84』関連で話題にのぼることも多いですが、自分は未読だったので。もっとも本国イギリスでも、「読んだふり本」第一位みたいですが(笑)。
ちなみに本作は、2012年から2013年に放送のオリジナルTVアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』とコラボした、「紙の本を読みなよ」フェアの対象作品でもありました。
「紙の本」ついでにもう一つ付け加えますと、本作は電子書籍版も出てますが、トマス・ピンチョン先生の解説を収録していないものもあります(全部?)ので、ご注意を。


(残りの19行、ネタバレあり)

未来へ、或いは過去へ、思考が自由な時代、人が個人個人異なりながら孤独ではない時代へ――真実が存在し、なされたことがなされなかったことに改変できない時代へ向けて。

画一の時代から、孤独の時代から、〈ビッグ・ブラザー〉の時代から、〈二重思考〉の時代から――ごきげんよう!

近未来、指導者〈ビッグ・ブラザー〉を頂点とする一党独裁の全体主義的国家で、耐え難い生活状況と極端な監視社会への不満から、主人公が密かに日記を書き始めるお話。
どうやら1984年前後らしきこの時代、世界は三つの超大国、オセアニア・ユーラシア・イースタシアに分かれ、地球上の残りの地域をめぐって争いを続けています。
その中のオセアニア(米・英・豪州など)で暮らす主人公は、末端の公務員かつ党員として、報道、娯楽、教育及び芸術を担当する政府機関・真理省に勤めているのですが。
「真理省」という名前に反して、彼の仕事の内容は、党が決して誤りを犯さないという説を守るため、過去の記録を党にとって都合よく改変するというもの。
そのうえ党のメンバーは、自分の記憶を意識的に、党に都合よく改変すると同時に、その事実は無意識へと追いやる能力〈二重思考〉を身につけることが要求されるのです。

彼は光の来る方に身体の向きを変え、ガラスの文鎮をしげしげと見つめた。

この文鎮は自分のいる部屋、そして珊瑚はジュリアと自分の命。それはクリスタルの中心でいわば永遠に不変の存在となっている。

そんな仕事に追われる日々を過ごすなか、主人公は幸運にも恵まれて、人間性・人間らしさというものの価値へと思い至ることになるのですが。
二足す二が四であるとすら、うかつには口に出せないような社会で。日記を書く以前に、党に対する反逆を思う時点でもはや〈思考犯罪〉であり、即ち死だという社会で。
終わりは始まりのなかに包摂されているのだと、彼は自分を待ち受ける運命をすでに受け容れていたのでした……。

「一人でいる――自由でいる、このとき人は必ず打ち負かされる。それも必然というべきだろう、人は死ぬ運命にあり、死はあらゆる敗北のなかで最高の敗北だからね。」

「しかし、もし完全な無条件の服従が出来れば、自分のアイデンティティを脱却することが出来れば、自分が即ち党になるまで党に没入できれば、その人物は全能で不滅の存在となる。」

「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「無知は力なり」という党のスローガンの、隠された意味とは? そしてそんな党が創り出そうとしている、未来の世界とは――?
権力が本質的にはらむ危険性と、それが招き寄せる狂気を描きつつ、それに対抗する希望も込められた、ディストピア小説の古典的傑作・二十世紀世界文学の名著。
“認知的不協和”的な〈二重思考〉の考え方や、「記録と記憶が一致したものであれば何であれ、それが即ち過去である」という、“唯我論”的な党の教義も面白いですし。
ことばを破壊し、語彙を減らすことにより、党のイデオロギー以外の思考様式を不能にするよう考案された、公用語「ニュースピーク」など、興味深い設定も多いです。
ただ、東西冷戦も遙か昔な今日、いくら情報技術の進歩で、盗聴・監視・改竄・捏造が容易とは言え、まさかこんな未来が訪れ――おや、こんな時間に誰か来たようだ……。